お久しぶりです粉踊です
もう気づけば2021年ですが皆さんいかがお過ごしでしょうか、自分は元気です
ところで皆さんはWHOによる健康の定義をご存じだろうか
WHOによると
「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会訳)」
とある
今年はオンライン授業で、学校にも数えるほどしか行かなかったし友達とは会話の内容を覚えている程度にしか話さなかったので、社会的には満たされた状態になっていないことがお分かりだろう
つまり自分は健康ではないのだ、健康のハードルが高すぎる
我々一般人が想像する「健康」の考えに、WHOの定義する「社会的」という要素が加わっているがそれだったら友達がいないヤツは健康ではないのだろうか
なんてことだ
「健康」の守備範囲が思ったよりも小さいと来た
どうでもいい話はさておいてまずは1つ、自分が体験した話をしよう
話の前振りなのだが如何せん長いので面倒な人は適当に読み進めてもらって構わない
あれは忘れもしない去年(2019)の10月末のハロウィン🎃、知り合いに誘われて初めてクラブへ行った時の話だ
クラブとはあのクラブのことだ
大音量でガンガン音楽が鳴っていて皆でその音楽に合わせて踊ったりリズムに乗ったりする、あのクラブである
最近の主流(?)であるEDMとかはまさに最たる音楽であろう
個人的にはこの曲の印象が強い↓ 自分の中の情報がアプデされないのでテレビでみたクラブのイメージ(平成初期あたり)が根強く残っている
この曲はどっちかって言うとバブル期でのイメージが近いけど
では人混みやうるさい環境が嫌いな自分がなぜよりにもよってそんな所に行こうとしたのか
面倒くせ~~とは思ってたものの友達(その知り合いとも見知っている)が行くそうなので、どうせだからと軽い理由でついていった
まあ今後自発的にクラブに行くなんて二度と無いだろうから今となっては行っておいて後悔はしていない
が、2~3000円の勉強代はついた
当日、3人で店の前に集合、早速入店へ
この時既に時間は23時くらい
スタート自体は1~2時間前に始まっていて、まあ俗に言うナイトクラブってところだった
喧噪へと引きずり込まれるように中へ入ると早速大音量の音楽が飛び込んでくる、その迫力に気圧されそうになる
鼻を思いっきり吸って耳を詰まらせても大音量で聞こえてくる音楽に少し辟易しながら会場に着くと異様とも神秘というような、自分がこれまでに体験したことのないような景色が広がる
ステージ横に設置された眩い光のレーザービームであったり、前面にある何かよく分からない映像を映している大きなモニター、そのステージで勢いに任せて飛び跳ねたりダンスをしているような人々、ディスクを回しているDJ、クラブに来ているのに椅子に座って携帯を弄っている人、何やら慌ただしいそうに動くスタッフたち...
↑遠巻きから眺める様子(普段全く写真を撮らない自分がここで撮っていたなんて何という僥倖だ)
写真外の自分の背後にはバー(?)のようなちょっとした飲み物を買うことができるスペースが設置されている、あと結構人がいる
とても異様な空間であるが、ここには確かなる非日常が顕在していた
さて自分が『うおぉ・・・何だこれは・・・』となっている最中、隣にいる知り合いや友達に目をやると特に何を気にするでもなくスマホを弄っていたり...
マジか不感症かよ(この間にも音楽はガンガン鳴っているというのに!)
全く、異様な空間で異様なことをしている方々だ
そんな中、別にステージで踊ろうということもなくしばらく眺めているとどういう訳か突然後ろから声を掛けられる
背丈は自分と同じ程度で髪は明らかに染めているであろう彩度高めの茶髪をした男性が立っていた
初めのエンカウントでどういう会話をしたかは忘れたのだが、話していくうちに彼は自分の通っている大学の、近くにある別の大学の学生だということが分かった
それでいてどうやら学年は自分の1つ下、大学生になって間もないのにそんな男の子がこんなところになどと"余計なこと"を思っているとどうやら彼もまた自分と同じような境遇でここへ来たらしい
無論、そこから話が弾まないわけない
その後は知り合い・友人らを尻目に、意気投合というほどでは無いがお互いのことについて色々と会話し、LINEを交換した
娑婆の空気を思う存分吸ってやったと言わんばかりに割と盛り上がっていたように思うがここからやがて失敗することになる
ようやくここから本題に入ります、燃えるね
その後知り合いらが飽きたということで少しばかり口惜しくなるも退店、彼とは別れた
そして腹が減ったということで皆でお好み焼きを食べて帰宅
興奮冷めやらぬ(?)気持ちで帰ってきてLINEを見ると先ほどの彼から何かメッセージが
その日はその内容にメールしてそのまま就寝する、ここまでは良かった
数日後再びLINEが来る
「今度バスケットボールをするんですが一緒にやりませんか!?」
何故なんだ、気分が乗らない
履歴はもう残っていないのでどういう返信かは覚えていないが最初は適当な理由を付けて断りやり過ごす、向こうも納得しているみたい
ただし自分はもう既にどこか解せない思いになっていた
さらに数日後またLINEが来る
「今度集まって何かスポーツして遊びましょう!!」
ぼく「・・・・・・・・・・・・・」
ここまで読んできた皆さんならお気づきになったとは思うが、自分はすっかり彼への気持ちは冷めてしまっていたのだ(仲間意識的な何かが)
そして最後は未読のままトーク履歴を削除してしまった、消した後やっぱりこれは申し訳ないと思ったものの結局あれ以来、今まで一度たりとも自分も彼もメッセージを送っていない
まして会うこともなくなった
読者の中には何やってるんだコイツは!と言いたくなるかもしれない
それから、なぜクラブで出会った時の強い気持ちは消えたのか、嘘のように気持ちが冷めていく自分は精神が異常なのか、自分は他人との関係を上手く気づけない人間なんだろうかと考えていた
とはいえ中学高校の頃の友達とは当時から今まで遜色なく付き合っているし・・・とも思っていた
ところが最近になって、とある行動経済学の本を読みその正体が分かってきたので紹介したいと思う
いきなり気持ち悪い指南かよ、意識高い系ブロガーの自己満体験記かよ、てかクラブの話をもっと聞かせろやと色々聞こえてくるかもしれないが、自身の体験から学んだことも兼ねてお許しいただきたい
後、このことを話したからと言って上記の自分の行為を正当化するわけでは無いことにも留意してほしい
自分がクラブで彼に強い気持ちを感じていたのにその後気持ちが冷めてしまったこと、これは相対性によるものだという
分かりやすいようにこの本の著者の例を挙げよう
著者は本の宣伝で世界各地を回っていた、そんな中スペインで、同じアメリカ人の人とひょんなことから意気投合したという
翌日、著者は朝から旅立つことになり時間が無かったのでEメールアドレスだけ交換してその日は去った(著者本人はこれが不味かったとも話している)
しかしいざ会ってみると以前のような強い絆はどこかへ行ってしまい、その後の昼食は和やかで楽しかったものの盛り上がりに欠けるという事態になってしまった
なぜか?初めて出会った時は周りがスペイン人だったこともあり、丁度そこで出会ったアメリカ人がお互いに一番マシな話し相手であった
ところが同じアメリカ人の家族や友人のいる故郷に帰国すると比較の基準がいつもの状態に戻るわけで、帰ってきて自分が好きな人が身近にいるというのにどうして異国で出会った相手ともう一度語り合おうとするのであろうか
普段の状態と異国の地(自分はナイトクラブ)では全く環境・状況が異なるため、自分自身相対性の餌食になっていたのだ
だからLINEを交換した後、すっかり幻滅してしまったのである
ちなみに相対性は何もこの話に限ったことではない、なんなら我々の決断はほとんどが相対性で決めているくらいである
新しい引っ越し先の候補、就活の企業選びから始まり高価な家電製品を買う際にもいくつもの候補を比べたがる
相対的に決めるのは単に楽なわけだし
最後に、これを読む読者に唯一のアドバイスをするなら、
外国やよその土地で出会った人と何か結びつきを感じてもやがてこの幻想はたちまち崩れて、幻滅してしまうかもしれないということを自覚することに尽きる
もしかしたらその幻想は環境の違いによって生み出されただけのものであるかもしれない
別にLINEやメールアドレスを交換してはいけないとは言うつもりは無いが、自分みたいに幻想から目覚めて後から幻滅しかねないことには注意する必要があると思う
その場で出会ったきりの旅を楽しむのも良いし、それかメールやLINEの代わりにTwitterみたいな交流したい時だけ気軽に交流できるやつで交換するのも良いんじゃないかと個人的には思う
再会するならその前にワンクッション欲しいよね、もし再び会いたいなら比較の基準をいつもの状態に戻しても大丈夫なように慣らしていくのは大切だろう
ポケモンの茂みのフィールドのようにいきなりエンカウントすることも無いのだ
書きたいことはだいたい書いたので、ではまた
ちなみに自分もクラブの後半ではスマホ弄ってました
異様なことをする人の仲間入りだ
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